善通寺の歴史2
1600年より現在まで
寛永10年 | 1633年 | この年、誕生院御影堂を再建する。 |
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寛文6年 | 1666年 | この年、瞬目大師像を天皇、法皇の叡覧に供し、「善通寺伽藍図」を下賜される。〈善通寺文書〉 |
寛文9年 | 1669年 | この年、御影堂焼失。 |
延宝年間 | 1673年~80年 | この頃、御影堂再建。 |
元禄9年 | 1696年 | 4月21日、光胤権僧正、善通寺金堂再建の勧進を呼びかける。〈善通寺文書〉 |
元禄12年 | 1699年 | 8月27日、金堂再建の棟上が行われる。〈金堂棟木裏書〉 |
元禄13年 | 1700年 | この年、金堂本尊・薬師如来坐像、御室大仏師運長法橋により造立される。〈善通寺文書〉 |
宝永5年 | 1708年 | この年、高松松平家(三代頼豊)から善通寺誕生院へ与北村新開免高五石を寄附される。〈善通寺文書〉 |
正徳3年 | 1713年 | この年、丸亀藩、護摩料として六五石を善通寺に寄進する。〈善通寺文書〉 |
亨保8年 | 1723年 | 10月、光歓、「募勧有信檀越造立一箇宝塔之序」を刷る。〈善通寺大塔再興雑記〉 |
寛保元年 | 1741年 | この年、丸亀藩、善通寺に正徳三年寄進の六十五石と引換えに三百三十石を寄進する。〈善通寺文書〉 |
宝暦8年 | 1758年 | 10月、光国、上洛し九条家に造塔の綸旨を下されんことを請う。 |
宝暦9年 | 1759年 | 9月13日、塔再建のことを丸亀藩に届け出て、20日、許可される。〈善通寺文書〉 |
宝暦10年 | 1760年 | 3月28日、最勝会が執行され、五重塔再建工事が始まる。〈善通寺文書〉 |
宝暦12年 | 1762年 | 3月29日、五重塔再建の綸旨が出される。〈善通寺文書〉 |
寛政4年 | 1792年 | 9月、誕生院寛充、香色山山頂に二明王像石碑を建て、背面に「再経函之銘并序」を刻む。 |
寛政8年 | 1796年 | この年、香色山の周囲に四国八十八ヶ所の石仏建立される。 |
文化元年 | 1804年 | 10月、五重塔完成し、大塔成就の供養が行われる。 |
天保2年 | 1831年 | この年、御影堂を新たに建立。延宝年間建立の御影堂を移転し、常行堂(現 釈迦堂)とする。 |
天保4年 | 1833年 | 3月17日、弘法大師像、誕生院新堂にて入仏式。〈善通寺文書〉 |
天保11年 | 1840年 | 12月17日、五重塔、火災に罹り、一夕にして灰燼に帰す。〈善通寺文書〉 |
天保13年 | 1842年 | 10月、誕生院厳曉、丸亀藩に大塔再建の願書差し出す(10月11日受理)。 |
弘化2年 | 1845年 | 2月9日、五重塔婆再建の綸旨を賜る。 |
明治35年 | 1902年 | 12月12日、五重塔完成。この日より15日まで入仏式を行う。 |
大正4年 | 1915年 | 4月、御影堂前 廻廊再建。 |
昭和6年 | 1931年 | 3月14日、大本山に昇格して管長寺となり、3月16日、真言宗小野派を真言宗善通寺派と改称する。 |
昭和9年 | 1934年 | 4月~8月、五重塔修繕。 |
昭和11年 | 1936年 | 3月30日、御遠忌の御沙汰書、御下賜金を受ける。 |
昭和12年 | 1937年 | 4月、御影堂落成法会を4月7日から20日までの14日間厳修する。 |
昭和13年 | 1938年 | 11月22日、三帝廟の修理完成報告式を挙行する。 |
昭和15年 | 1940年 | 4月、忠霊堂、護摩堂の落慶法要を勤修する。 |
昭和16年 | 1941年 | 4月、真言宗善通寺派総本山に昇格する。 |
昭和17年 | 1942年 | 12月10日、石橋落成。済世橋と名付ける。 |
昭和28年 | 1953年 | 11月14日、「一字一仏法華経序品」国宝に指定される。 |
昭和47年 | 1972年 | 10月5日、宝物館竣工する。 |
昭和53年 | 1978年 | 8月20日、済世橋修築。 |
昭和56年 | 1981年 | 6月9日、「金銅錫杖頭」国宝に指定される。 |
平成3年 | 1991年 | 10月、五重大塔修理に着工する(平成5年11月3日落慶)。 |
平成11年 | 1999年 | 4月、御影堂修理工事に着工する(平成15年6月15日落慶)。 |
平成18年 | 2006年 | 善通寺創建1200年を迎える。 |
平成24年 | 2012年 | 金堂・五重塔が重要文化財に指定される。 |
平成29年 | 2017年 | 善通寺境内が国史跡「讃岐遍路道」に指定される。 |